高倉健さん特集何の日?「幸福の黄色いハンカチ」夕張行って来ました

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2014年11月24日月曜日

「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば」(北海道夕張市)に行って来ました。

 

11月3日に今シーズンの営業を終えていましたが、

「健さん」の訃報を受けて11月19日~11月30日までの期間

午前10時〜午後3時の営業時間で臨時に開館しています。

幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば(北海道夕張市)

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夕張市内に入りますと様々な案内標識がありますので、道に迷わず簡単に「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば」に行けました。

 

入場

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入場料は おとな 520円  こども 310円  シニア 410円

※こどもは4歳から小学生まで。

シニアは60歳以上。(要証明書)

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建物の外観はロケ撮影当時のままの、よき「昭和」の時代を感じさせる何か「ホッとした雰囲気」の外観でした。

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幸福を希う(こいねがう)やかた

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広場の「幸福を希う(こいねがう)やかた」中のには、献花台が設けられて、訪れた人は、高倉さんの死を悼みました。

北海道内からは勿論のこと、道外からも連休を利用してたくさんの人が「献花」と「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば」の見学に訪れていました。

更に「やかた」のなかでは、黄色いハンカチをもじって、黄色い用紙に願い事を書いて展示室内に貼ることが出来るのですが、健さんの訃報を受けてからは「願い事」ではなく、「健さんに対する感謝の気持ち」や「健さんへの追悼の想い」を書いて展示室内に貼る人がほとんどになったようでした。

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私も「健さん、男!高倉健 ありがとうございました」と意味不明ですが、黄色い紙と鉛筆を持った瞬間に、生き方、言動、イメージで健さんは「男とはこういうもの」という表現をされていたと思い、その言葉しか思い浮かびませんでした。

 

幸福の黄色いハンカチ

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「幸福の黄色いハンカチ」のセットを再現

当たり前ですが「昭和のよき時代」の雰囲気が出ていますよね!

今の一般的な家庭の家の中とは全然ちがいますよね、今から30年以上も前ですから当然と言えば当然なのですが時代の流れを感じます。電化製品も懐かしさを感じます。

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撮影時のエピソード

欽也(武田鉄矢)と勇作(高倉健)が最後に別れるシーンの撮影の時、武田は台本通りになかなか泣けないでいたところ、武田の元に健さんが寄って来て、長期間の撮影に感謝する旨を武田に述べると、武田は感激してぼろぼろと涙をこぼしたといいます。その瞬間に、別れのシーンが撮影されたそうで、健さんの機転と優しさが伝わってくる話です。

刑務所から出てきたばかりの勇作(高倉健)が、食堂でビールを飲み干し、ラーメンをむさぼるように食べる場面では、健さんは実際に2日間何も食べずに、この撮影に臨んだそうで健さんの役作りに対する思い、「ストイック(禁欲的に厳しく身を持するさま)」さを感じさせるエピソードです。

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撮影に使われた真っ赤なファミリア(4代目のFRファミリア)と靴、帽子、鞄

 

高倉健さん

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(たかくら けん、1931年2月16日 – 2014年11月10日)

本名 小田剛一(おだごういち)

日本の俳優・歌手

愛称、健さん

身長180cm、血液型B型

高倉プロモーション所属

福岡県中間市出身

日本を代表する映画スター

代表作は映画

  • 『網走番外地シリーズ』
  • 『日本侠客伝シリーズ』
  • 『昭和残侠伝シリーズ』
  • 『新幹線大爆破』
  • 『幸福の黄色いハンカチ』
  • 『八甲田山』
  • 『南極物語』
  • 『ブラック・レイン』
  • 『鉄道員(ぽっぽや)』
  • 『あなたへ』

など、いずれも邦画史上に残るヒットを記録しています

 

健さんの言葉

2013年11月3日皇居で文化勲章を授与する親授式後の記者会見で健さんは、「日本人に生まれて本当によかったと、今日思いました」と述べています。

また、この受章については親授式前の10月にも、「今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います。」とのコメントを発表しています。

 

死去

2014年11月10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。83歳没。

健さんの遺志により近親者によって密葬が執り行われ、終わった11月18日に高倉プロモーションから「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」の言葉が添えられたFAXでその死が発表されました。

 

追悼

千葉真一・・・・・「日本の映画界にとって、そしてわたくしにとって大変大事な方の訃報に今でも信じられない気持ちです。人生においても俳優としても唯一尊敬し続けた方でした」

中島貞夫監督・・・「役作りに執念を持ち、役と一体になりきる人だった。存在をすべてかけて映画を撮っていた希有な俳優だった」

倉本聰・・・・・・「あれだけ健康に留意していた健さんが私より先に亡くなるなんて。自分より年下でも、相手が板前さんでもタクシー運転手でも駅員さんでも、きちんと立ち止まって礼をする人だった」

渡瀬恒彦・・・・・「東映に入社して45年、私にとってずっと『親方』の様な存在でした。突然のことで、只々言葉もありません」

板東英二・・・・・「つい一週間前に健さんの事務所に直接お伺いし、お手紙を預けてきた所でした。いつもご丁寧な方がお返事が来ずに不思議だと思っていましたが、驚きで声も出ません」

佐藤純彌監督・・・「時代を背負ったスターと共に仕事が出来たことは幸せでした。決して死なないような気がして訃報を聞いた時は、ひとつの時代が終わったことを実感しました」

降旗康男監督・・・「残念の一語に尽きる」

長嶋茂雄・・・・・「彼から教わったことは多かった」

石原慎太郎・・・・「最後のビッグスターだった。名声が長くもった希有な人だった」

 

人柄

礼儀正しい人物として知られて、すべての共演者に挨拶を忘れずに、監督やプロデューサーをはじめ、若い新人俳優やスタッフにも必ず立ち上がって丁寧にお辞儀して敬意を払う、そんな人でした。

マイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃しました。その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていたそうです。

健さんのファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は『単騎、千里を走る。』の撮影の際に、健さんが休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優に至るまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言しています。

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記念の品に感謝の言葉と「高倉健」の名前

気持ちの通じ合った共演者にはブライトリング、ロレックス、ヴァシュロン・コンスタンタンなどの腕時計やライターなど、記念の品に感謝の言葉と「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣があって、千葉真一田中邦衛渡瀬恒彦板東英二宇崎竜童ビートたけしなどが貰っています。

 

ビートたけしが語る

ビートたけしは『夜叉』で共演した撮影中のエピソードとして、真冬の福井ロケのある日、オフだったにもかかわらず、健さんがロケ現場へ激励に現れた。厳しい寒さの中、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、健さんは全く焚火にあたろうとしない。スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めるが、健さんは「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。このためスタッフだけでなく、共演者誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言しています。やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができたそうです。

撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着して、食堂へ行くと、健さんと監督の前だけ、皆とは違った「ふぐ刺し」が並んでいました。これを見た健さんは「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮して、手をつけなかったといいます。突然の事で数も揃わないことから、健さんと監督以外は「カワハギの薄造り」で急場をしのぎ、事なきを得たそうです。健さんの共演者やスタッフを大事にする姿勢が表れている「暖かい気持ち」になるエピソードですね。

 

追悼番組

2014年11月28日金曜日午後9時から日本テレビ系列 金曜ロードSHOW!で「幸福の黄色いハンカチ」を、デジタルリマスターでノーカット放送します。

 

最後に

日本生命のCMでの「自分、不器用ですから」という名台詞こそ健さんのイメージを簡単に表した「ピッタリの言葉」ではないでしょうか。

健さんの人生と重なる時を生きれた事、幸せに思います。

「健さん、男!高倉健 ありがとうございました」

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 


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